2025-12-23

心的会計が示すもの ― 合理性の中で生まれる判断のズレ

BtoB 営業・マーケティング コラム

合理的に検討したつもりの判断でも後から振り返るとどこか腑に落ちない、金額や条件を並べて比較した上で決めたはずなのに別の選択肢の方がよかったのではないか、などと感じることがあります。こうした違和感は、判断力や情報量の不足だけで説明できるものではありません。

人はお金を扱う際、無意識のうちに用途や文脈ごとに整理し、それぞれを別のものとして評価しています。行動経済学では、この考え方を「心的会計」と呼びます。同じ金額であっても、どの枠で認識されたかによって、判断や納得の度合いが変わるという視点です。

本記事では、心的会計を判断を誘導するための技法としてではなく、意思決定の前提として捉え直します。なぜ合理的に考えているはずの場面で判断のズレが生じるのか。その背景を整理しながら、企業の意思決定において心的会計がどのように作用しているのかを見ていきます。

なぜ心的会計は生まれるのか ― Thaler の理論から整理する

心的会計を理解する上で重要なのは、それが単一の癖や思い込みではなく、いくつかの要素が組み合わさって成立しているという点です。行動経済学者の Thaler は、心的会計を人の意思決定における整理の仕組みとして捉え、その中身を複数の構成要素に分けて説明しています。

Thaler の整理※1 によれば、心的会計は主に三つの要素から成り立っています。一つ目は、支出や利得をどのように評価するかという点です。人は金額を絶対的な尺度で評価するのではなく、あらかじめ設定された枠の中で「得か損か」「想定内かどうか」を判断します。この評価は、文脈や参照点に依存しており、同じ金額でも意味合いが変わります。

二つ目は、区分です。人はお金を一つのまとまりとして扱うのではなく、用途や目的ごとに分けて管理します。予算、プロジェクト、年度といった区切りは、意識的に設定される場合もあれば、慣習として当然のものとして受け入れられている場合もあります。この区分によって、どの判断をどの範囲で行うかが決まります。

三つ目は、記帳や管理のあり方です。区分された枠ごとに支出や成果が記録され、それぞれが独立して管理されます。一度枠が設定されると、その内側での調整は行われやすい一方で、枠をまたいだ見直しは起こりにくくなります。過去の判断や支出も、枠ごとに蓄積されていきます。

重要なのは、これら三つの要素のいずれも、それ単体で見れば非合理とは言えない点です。評価の基準を定め、判断の対象を区分し、記録を整理すること自体は、意思決定を進める上で現実的な対応です。すべてを同時に比較し続けるよりも、扱いやすい単位に分けた方が判断はしやすくなります。

しかし、三つの要素が同時に働くと、別の側面が現れます。区分によって枠が分かれ、評価は枠の内側で完結し、記帳も枠ごとに行われるため、判断は逐次的に積み重なっていきます。その都度の判断は筋が通っており、説明も可能です。一方で、枠をまたいだ比較や再配分は行われにくく、後から全体を見渡す機会がほとんどありません。

その結果、判断の積み重ねとしては自然に進んできたにもかかわらず、後から全体を俯瞰すると、なぜその配分や結論に至ったのかが直感的に理解しにくくなることがあります。個別には合理的に見える判断が重なった結果として、全体としての整合が取りにくい状態が生まれる。この点に、Thaler が心的会計で示した問題意識があります。

心的会計は、人の判断を誤らせる特別な例外ではありません。むしろ、判断を可能にしている仕組みそのものです。ただし、その仕組みがどのように働いているかを理解しないまま結果だけを見ると、「なぜそうなったのか分からない」「どこか不自然だ」という印象を抱きやすくなります。心的会計の三つの構成要素を踏まえることで、その違和感がどこから生まれているのかを構造的に捉えることができます。

【出典】
※1 Thaler, R. H. (1985). Mental Accounting and Consumer Choice. Marketing Science, 4(3).

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B2Bの意思決定で起こりやすい心的会計のパターン

企業の意思決定では、個々の判断がその場その場で行われ、結果として全体の方向性が形づくられていきます。その過程では、金額や条件そのもの以上に、「どの枠で扱われたか」が判断に影響する場面が少なくありません。

前章で整理したように、心的会計は、評価、区分、記帳という複数の要素が組み合わさって働く仕組みです。これらは判断を進めるための自然な整理であり、企業の意思決定においても例外ではありません。B2Bの文脈では、こうした整理が予算やプロジェクト、時間軸といった形で共有され、判断の前提として機能します。

本章では、こうした心的会計が、企業の意思決定の中でどのような形で表れやすいのかを見ていきます。個別の判断としては筋が通っているものが、どのような枠の置かれ方によって積み重なっていくのか。その具体的なパターンを整理します。

分かりやすい例が、予算という枠です。同じ金額であっても、既に確保されている予算の範囲内であれば受け入れやすく、別枠の予算や想定外の支出として扱われると、心理的なハードルは一気に上がります。金額そのものは変わらなくても、「どの予算に属するか」という分類が判断の入口を左右します。

また、新規と継続という区分も、心的会計が働きやすい枠の一つです。既に続いている取り組みは、効果の有無とは別に「これまでやってきたもの」として扱われやすく、検討の基準が緩やかになります。一方で、新しい取り組みはゼロからの判断として扱われ、同程度の投資であっても慎重さが求められがちです。ここでも、比較されているのは金額ではなく、枠の違いです。

時間軸も重要な要素です。短期的な対応として位置付けられた支出と、中長期の投資として整理された支出とでは、評価の仕方が異なります。成果が見えるまでの期間が同じであっても、「今期の話か」「来期以降の話か」という整理によって、納得度や優先順位が変わることがあります。

こうした枠は、個人の判断だけでなく、組織内で共有される点にも特徴があります。会議や稟議の場では、「これはどの分類か」「前例はあるか」といった整理が先に行われ、その後で金額や条件の議論が始まります。一度共有された枠は前提として扱われやすく、後から修正するのは容易ではありません。

その結果、判断が通りやすいかどうかは、提案内容の良し悪しだけでなく、どの心的会計の枠に当てはめられたかによって左右されます。数字を積み上げても噛み合わない場合、論点は説明不足ではなく、枠の設定にある可能性があります。

B2Bの意思決定で起こる心的会計は、特別な例外ではありません。むしろ、組織として合理的に判断しようとするからこそ、共通の枠が必要になり、その枠が判断に影響を与えます。この前提を理解することが、次の章で扱う実在の研究や事例を読み解く土台になります。

実在研究・企業事例から見る心的会計の影響

心的会計は抽象的な概念ですが、これまでの研究の中には、判断のズレがどのように生まれるのかを具体的な状況として示しているものがあります。ここでは、そうした例を手がかりに、心的会計の影響を整理します。

まず、過去の支出がその後の判断に影響を与える現象については、心理学者の Arkes と Blumer による研究※2 が広く知られています。研究の中では、例えば次のような選択問題が扱われています。あなたは100ドルの「ミシガン州へのスキー旅行」のチケットを購入しました。その直後、より楽しそうな50ドルの「ウィスコンシン州へのスキー旅行」のチケットを見つけ、こちらも購入しました。しかし後で、両方の旅行の日程が重なっていることに気づきます。どちらも払い戻しはできず、あなたは50ドルの旅行の方が確実に楽しいと分かっています。このとき、どちらに行くかが問われます。

合理的に考えるなら、すでに支払った金額は取り戻せないため、これから得られる満足度だけで判断し、より楽しいと分かっている旅行を選ぶのが自然です。それでも、支払った金額の大きい旅行を選ぶ傾向が見られることが示されています。心的会計の観点から見ると、ここでは「すでに支払った100ドル」が同じ枠の中で記帳され、「無駄にしたくない」という評価が残ることで、将来の判断に影響していると捉えられます。過去の支出は本来、将来の選択肢の比較には関係しないはずですが、評価と記帳が結び付くことで、判断の入口に残り続けます。

一方、心的会計の影響は、過去の支出の話だけに限られません。行動科学者の Milkman と Beshears による研究※3 では、オンラインスーパーの購買データを用い、10ドル割引クーポンを利用したときの購買行動が分析されています。この研究では、クーポンを使ったときに支出が一定程度増えること、そして増えた支出が、普段は購入しない商品に向かいやすいことが示されています。ここで注目すべき点は、割引額そのものよりも、「小さな得を得た」という認識が、支出の内訳の作られ方に影響している点です。

心的会計の言葉で言えば、クーポンによる得は、新たな枠として区分されやすく、その枠の中で評価されることで、通常とは異なる選択が生まれます。金額の大小だけでは説明しにくい支出の変化が、評価と区分の働きとして観察されていると言えます。企業の実データを用いた分析でこの傾向が確認されている点は、心的会計が机上の説明にとどまらないことを示す材料になります。

これら二つの研究が示しているのは、心的会計が特定の場面だけで起きる特殊な現象ではないという点です。過去の支出が残り続ける場合も、割引や得の認識によって購買内容が変わる場合も、評価、区分、記帳という要素が組み合わさり、判断の前提を形づくっています。研究に含まれる具体的な状況を通して見ることで、心的会計が判断に及ぼす影響は、特別な例外ではなく、日常的に起こりうるものとして捉えやすくなります。

【出典】
※2 Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). The Psychology of Sunk Cost. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1)
※3 Milkman, K. L., & Beshears, J. (2009). Mental Accounting and Small Windfalls: Evidence from an Online Grocery Store. Journal of Economic Behavior & Organization, 71(2)

まとめ

心的会計は、判断を誤らせる特別な癖ではなく、人が限られた時間と情報の中で意思決定を進めるための整理の仕組みです。金額を一元的に比較するのではなく、評価の基準を置き、区分を設け、記帳を積み重ねることで、判断は現実的な形になります。

一方で、その整理がどのように行われているかを意識しないまま結果だけを見ると、「なぜそうなったのか分かりにくい」「どこか不自然に感じる」といった違和感が生まれます。本記事で見てきたように、その違和感は論理の欠如や情報不足によるものではなく、判断の入口に置かれた枠の違いから生じている場合があります。

実在する研究に含まれる具体的な状況を通して見ることで、心的会計が判断に及ぼす影響は、特別な例外ではなく、日常的に起こりうるものとして捉えやすくなります。過去の支出が評価に残り続ける場合も、得として認識された金額の使われ方が変わる場合も、判断はその場その場で合理的に行われています。ただし、その積み重ねがどの枠で行われてきたかによって、全体の見え方は変わります。

心的会計を前提に考えるとは、枠をなくそうとすることではありません。枠が置かれていることを前提に、その影響範囲を理解しようとする姿勢です。数字や条件の説明が噛み合わないと感じたとき、判断の正しさを競う前に、どの枠で評価が行われているのかに目を向けることで、状況の見え方は変わります。

心的会計を前提に考えることで、これまで「説明が足りない」「理解されない」と感じていた場面の多くが、別の形で見えてきます。問題があるのは数字や論理そのものではなく、判断がどの枠の中で積み重ねられてきたか。その点に目を向けることが、心的会計という考え方が示している視点です。

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