2025-11-20

サンクコスト効果と企業判断 ― 過去の選択が現在を左右する理由

BtoB 営業・マーケティング コラム

意思決定の場では、本来なら判断材料に含めるべきでない「すでに投じたコスト」が、選択を大きく左右することがあります。行動経済学ではこれをサンクコスト効果と呼び、企業の判断や組織の意思決定でも見過ごせない要因として扱われています。形としては回収不能であっても、そこに費やした時間や労力、予算への思いが強いほど、現状を見直す判断が難しくなるためです。

本稿では、このサンクコスト効果の仕組みを、研究知見と心理的背景から整理し、企業の判断や情報発信にどのような影響が生じるのかを考えていきます。過去の投資と未来の選択肢をどのように切り離して捉えるかという課題は、多くの組織で日常的に直面するものです。情報の受け手が冷静に判断できる環境を整えるためにも、サンクコスト効果を理解しておくことは有用な視点になります。

サンクコスト効果とは何か

サンクコスト効果とは、すでに回収不能となったコストを、将来の判断に不適切に影響させてしまう心理的傾向を指します。経済学では、本来「過去に支払われ、取り戻せない費用は、これからの意思決定に含めるべきではない」とされますが、実際の人間の行動はその原則から大きく逸れることが知られています。

この現象を体系的に示した代表的な研究として、Arkes と Blumer による実験があります※1 。彼らは、ある参加者には比較的高額の費用を支払った選択肢を提示し、別の参加者には低額の費用を支払った選択肢を提示したうえで、次に取る行動を尋ねました。すると、状況の合理性とは無関係に、「多くのコストを支払った側」が、その選択肢に固執しやすい傾向が一貫して確認されました。内容が同じであっても、「どれだけ投資したか」という情報が、判断の方向を強く左右してしまうのです。

このようにサンクコスト効果は、単なる「もったいない」という感情にとどまらず、認知的なゆがみとして多くの行動に影響します。これまで費やした時間や労力が大きいほど、状況を冷静に再評価しづらくなるため、企業判断や組織の意思決定でも無視できない要因となります。

【出典】
※1 Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). “The Psychology of Sunk Cost.” Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1)

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なぜ「投じたコスト」への執着が判断を歪めるのか

人がサンクコストに引きずられる背景には、単なる「もったいない」という感情以上の心理メカニズムがあります。とくに強く働くのは、これまで選んできた行動を正当化したいという気持ちと、自分の選択に一貫性を保とうとする傾向です。

まず、人は過去に投じた労力や費用が大きいほど、それを無駄だったとは認めにくくなります。努力や時間が積み重なるほど、「ここまでやってきたのに途中でやめるのは損だ」という感覚が強まります。しかし、過去の投資はすでに回収不能であり、本来は未来の判断に含めるべきではありません。この点が合理的判断との大きなギャップになります。

また、心理学では、人は自分が下した選択に一貫していたいという傾向があるとされます。行動科学の研究者であり、説得と影響力の研究で知られる Cialdini も著書※2 の中で、一貫性の原理(consistency)を人間の行動を方向づける強い動機の一つとして位置づけています。過去の選択を途中で修正することは、一貫性を崩す行為であり、心理的な負担を伴います。そのため、状況が変わっていても、以前の判断を引きずってしまうのです。

さらに、サンクコストは「判断の基準を曇らせる」形で働くことがあります。たとえば、現在の選択肢を比較する際、本来は将来のメリットやリスクを中心に評価すべきところが、「ここまで投資したから」という理由が加わることで、冷静な比較が難しくなります。結果として、最適とは言えない選択肢を引き続き選んでしまうケースが生まれます。

このようにサンクコスト効果は、感情的な躊躇と認知的なゆがみが重なって発生します。過去の努力や費用はそれ自体に価値があるものの、意思決定の基準として混ざると判断を乱す要因となり、組織における意思決定でも同様の影響をもたらしやすくなります。

【出典】
※2 Cialdini, R. B. (2009). Influence: Science and Practice. Pearson Education.

企業判断におけるサンクコスト効果の特徴

サンクコスト効果は、個人の意思決定だけでなく、企業の判断にも影響します。組織では複数の関係者が関わり、意思決定の履歴も長期にわたるため、過去の投資が判断に入り込む余地が広がりやすくなります。とくに、目に見える費用だけでなく、社内調整や検討に費やした時間、関係者の労力といった要素も「回収したいもの」として意識されやすく、判断を複雑にします。

まず、プロジェクトやツールの導入といったテーマでは、「これまでここまで進めてきたのだから切り替えるのは避けたい」という感覚が働きやすくなります。過去の投資が大きいほど、現状を見直す判断に心理的な抵抗が生まれ、柔軟な選択がしづらくなる点が典型的です。費用だけでなく、社内説明や稟議、運用の調整といった見えにくい負荷が積み重なっている場合は、その傾向がさらに強まります。

また、組織には「これまでの判断を正しかったものとして扱いたい」という力学が少なからず存在します。特定の施策に長く関わってきた担当者ほど、その判断を維持しようとする傾向がありますし、評価制度によって「過去の選択を肯定する行動」が取りやすくなるケースもあります。こうした構造的な要因により、合理的な比較が難しくなる場面が生まれます。

さらに、サンクコスト効果は、比較すべき選択肢を見誤らせることもあります。たとえば、本来は「今後どちらの選択肢がよいか」を中心に検討すべき状況であっても、「ここまで投資した側を維持すべきかどうか」という問いにすり替わることがあります。こうした判断軸の混在は、状況の変化を評価しづらくし、必要な見直しを遅らせる原因になります。

企業判断におけるサンクコスト効果は、感情的な要因だけでなく、組織構造や評価制度の影響も重なって発生します。そのため、「合理性を欠いた選択をしないように気をつける」といった個人レベルの注意では十分に抑えられず、判断の枠組みそのものを意識して整える必要があります。

情報発信における「サンクコスト」への理解と配慮

サンクコスト効果は意思決定の文脈で語られることが多い概念ですが、情報発信を行う側にとっても無視できない影響を持ちます。特に、情報の受け手が「これまでに投じてきた時間・労力・判断」を大切にしている場合、その文脈を踏まえない伝え方は、意図しない拒否反応や誤解を招く可能性があります。

受け手は、過去の選択を否定されると、自分自身の判断まで否定されたように感じやすくなります。たとえば、長く運用してきた仕組みやプロセスを持つ企業に対し、「従来の方法は非効率だ」「今の運用は時代に合わない」といった表現を用いると、事実としては正しくても、「努力や判断を軽視された」と受け取られることがあります。

ここで問題になるのは、発信者の意図よりも、受け手がどう感じるかです。サンクコスト効果が働く状況では、受け手は過去の取り組みや投資を心理的に防衛しやすく、結果として新しい選択肢を素直に受け入れにくくなります。これは B2B の文脈でも頻繁に見られる傾向で、担当者が長らく関わってきた領域ほど、提案や指摘が摩擦を生みやすくなります。

そのため、情報発信では、受け手のこれまでの取り組みや判断を前提にした「文脈の尊重」が不可欠です。たとえば課題を提示する場合でも、「これまでの取り組みが一定の成果を支えてきました。その上で、今後は別のアプローチも有効になり得ます」のように、過去の努力を肯定しつつ次の選択肢を示すことができます。

また、受け手が何に時間や労力を投じてきたのかを事前に把握しておくことで、「どこに心理的な抵抗が生まれるか」を予測しやすくなります。過去の判断を頭ごなしに否定しないこと、改善案を提示する際には「既存の取り組みを土台としてどう発展できるか」を示すことが、対立ではなく協働のコミュニケーションにつながります。

このように、サンクコスト効果への理解は、情報の受け手の背景を尊重しながら、より受け入れられやすい伝え方を設計するための視点として重要です。

まとめ

サンクコスト効果は、意思決定の合理性を大きく揺らす心理バイアスの一つです。すでに投じた時間や労力を無駄にしたくないという気持ちは、誰にとっても自然なものですが、その感情が強まるほど、状況を客観的に見直すことが難しくなります。

企業活動でも同様で、長く続けてきた取り組みほど「途中で変えにくい」空気が生まれやすく、結果として次の選択が後ろ倒しになることがあります。このとき影響を受けているのは、合理性ではなく、過去の投資に対する心理的な執着です。

情報発信の場面では、情報の受け手が抱えるこうした心情を理解しないまま課題を指摘したり、変化を促したりすると、意図しない反発を招きやすくなります。受け手が積み重ねてきた判断や努力を尊重しながら、次の選択肢を提示する姿勢が、コミュニケーションの受容性を高めます。

サンクコスト効果を踏まえた情報設計は、「過去を否定しないこと」と「未来の可能性を示すこと」の両方を成立させる営みでもあります。

この視点を意識することは、企業の提案活動や情報発信の質を高め、より納得感のある対話を生み出すための大切な要素となります。

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