2025-10-22
説明よりも理解を軸に設計する ― 情報過多の時代に伝わる営業術
BtoB 営業・マーケティング コラム
営業活動を取り巻く環境は、近年大きく変化しました。顧客が接する情報は膨大になり、営業担当者と会う前にインターネットで情報を収集して比較・検討を終えていることも珍しくありません。営業が伝える情報は、もはや「最初に触れるもの」ではなく「数多くある中の一つ」として受け取られています。
こうした時代に求められるのは、情報を盛り込むことではなく、限られた時間の中で「伝わる」構成を設計することです。営業の提案は、顧客の注意をどう扱うかという設計課題になりつつあります。
本稿では、情報があふれる時代において営業がどのように提案を組み立てるべきか――その考え方を整理します。
「情報が多い」ではなく「注意が分散している」
営業が直面する課題は、単に「情報が多い」ことではありません。顧客の注意が分散しており、どの情報が信頼に値するのか判断しにくくなっている点にあります。資料や比較情報があふれるなかで、顧客は「知る」よりも「選ぶ」ことに疲弊しているのです。
Miriam Arnold らの「Dealing with Information Overload: A Comprehensive Review(2023)」は、情報過多が意思決定の質を低下させる要因を体系的に整理しています。そこでは、情報の正確性だけでなく、「一貫性」「関連性」「理解のしやすさ」といった質的要素が重要であるとされ、受け手が内容をどう理解し、どう活用できるかが最終的な判断の精度を左右すると指摘されています。
この視点は、Herbert A. Simon の「Designing Organizations for an Information-Rich World(1971)」にも通じます。Simon は半世紀前に「情報が豊富な社会では、注意こそが最も希少な資源になる」と述べ、情報を提供する側の役割を「伝達」から「理解の設計」に転換すべきだと説きました。
営業の現場でも、いま起きているのはまさにこの転換です。顧客は「説明を受ける」よりも、「理解できる構成」での提案を求めています。情報の多寡ではなく、限られた注意の中でどれだけ“理解の余白”を生み出せるか――そこに営業設計の本質があるのです。

「伝える」から「理解を設計する」へ
情報が溢れる環境では、顧客は新しい知識を得るよりも、すでにある情報を整理し、自分の判断軸に沿って理解することに時間を使っています。そのため、営業の提案も「情報を伝える」行為から、「理解を設計する」行為へと変わりつつあります。
この転換の重要性は、Simon が指摘した「注意は情報社会における最も希少な資源である」という考え方にも通じます。組織や個人の成果は“どの情報に注意を向けるか”によって左右されるとされ、営業においても資料の量ではなく、顧客が理解できる順序と流れをどう設計するかが成果を決めるのです。
また、John Sweller 著「Cognitive Load Theory(1988)」では、人間の情報処理能力には限界があり、過剰な情報は理解を阻害することが示されています。特に、営業資料のように多様な要素が同時に提示される状況では、「何を見ればよいか」が分からない状態が、結果として“何も伝わらない”原因になります。
この視点から見ると、営業の工夫とは、情報を減らすことではなく「どの順番で提示すれば理解が進むか」を考えることです。情報の整理とは削除ではなく構造化です。顧客の理解のプロセスに合わせて、情報を流す順序や重みを設計する。それが「理解を設計する営業」と言えるでしょう。
営業担当者が扱う情報量は増える一方ですが、その中で顧客が理解に至るまでの“思考の流れ”を見通せる人ほど、提案の質を高めています。つまり、営業の生産性を上げるとは、行動量を増やすことではなく、「理解される構成」を作る力を磨くことにほかなりません。
「納得」ではなく「理解」をつくる提案へ
営業提案の目的は、かつて「納得させること」にありました。しかし、いま重要なのは、顧客が自ら理解し、意思決定できる状態をどう設計するかです。情報が過剰な環境では、「説得」よりも「理解の支援」が信頼を生む時代に移っています。
Dana E. Harrison の論文「Understanding the Impact of Information Quality on Customer Relationship Management(2016)」では、情報の質を「正確性」「一貫性」「関連性」「理解のしやすさ」という四つの要素から構成されるものとして定義しています。これらはいずれも、意思決定の精度を高める上で不可欠な基準とされており、営業においても同様に機能します。顧客が提案を受けて納得するかどうかは、提供された情報の量ではなく、その“理解のしやすさ”によって決まるのです。
つまり営業においても、情報の“網羅”より“理解の設計”が重視されるべきです。顧客は、提示された情報の多さよりも、「この会社は自分の理解を助けてくれる」と感じることに価値を見出します。営業担当者が行うべきは、あらゆる事実を詰め込むことではなく、「顧客が最初に理解すべきこと」「次に考えるべきこと」を構造的に示すことです。
また、Simon が指摘した「注意は希少な資源である」という考え方を踏まえれば、営業資料や説明の設計にも“順序”が欠かせません。どれほど内容が優れていても、顧客の注意が分散した状態では伝わりません。提案の最初の数分で「聞く価値がある」と思わせる構成ができているかどうかが、その後の対話の深度を決めます。
結局のところ、「理解される提案」とは、情報量の問題ではなく構成の問題です。営業は顧客の思考の流れを設計し、限られた注意の中で理解を積み重ねる支援を行う。そこにこそ、情報過多の時代における営業の本質的な役割があるのです。
営業プロセスを“顧客の理解プロセス”として再設計する
営業の目的が「理解を促すこと」へと変わるなら、営業プロセスそのものも見直す必要があります。これまでの営業設計は、企業側の段取りである情報提供、比較検討、クロージングといった“自社中心の流れ”を基準に構築されてきました。しかし、情報過多の時代には、その順序が必ずしも顧客にとって合理的ではありません。
Arnold らのレビューでは、情報過多の影響として「情報が多いほど意思決定が速くなるわけではなく、処理コストが増大することで判断が遅れる」と指摘されています。つまり、営業が多くの情報を一方的に提示することは、むしろ顧客の思考を混乱させ、決断を先延ばしにしてしまうリスクがあるのです。
ここで求められるのは、営業プロセスを“顧客の理解プロセス”として設計し直す視点です。営業担当者自身が、顧客が「どの段階で」「何を理解すれば」「どのように意思決定へ進めるのか」という流れを軸に、自らの行動を再構築していく必要があります。たとえば、提案の初期段階では情報を網羅的に示すのではなく、理解の足場を築くための“少量の高精度情報”を提示します。次の段階では、顧客の関心が具体化してきたタイミングを見計らい、比較や導入検討を支援する情報を段階的に追加していきます。こうした積み重ねが、「情報を届ける営業」から「理解を共につくる営業」への転換を可能にします。
また、Simon が提唱した「情報の設計」概念を営業に応用すれば、提案内容を“伝える”だけでなく“体験として理解される”ように設計する重要性が見えてきます。営業担当者は、単に資料を提示するのではなく、図解やシナリオ、対話の順序を工夫することで、顧客が自ら思考を進められる構成をつくり上げることが求められます。それは、情報を“整理して伝える”段階から、“理解の経路をデザインする”段階へと営業を進化させることでもあります。
営業活動がこのように再設計されると、単発の提案で終わらず、顧客の理解が進むごとに信頼が積み重なっていきます。その信頼は、製品や価格といった外的要素ではなく、「この営業は自分の理解を助けてくれる」という実感から生まれるものです。これこそ、情報過多の時代における競争優位の新しい源泉と言えるでしょう。
まとめ
情報があふれる現代の営業において、競争の焦点は「どれだけ多く伝えるか」ではなく、「どれだけ正確に理解を生み出せるか」に移っています。顧客はもはや情報を求めているのではなく、自分の意思決定を支えてくれる理解の枠組みを求めています。
営業担当者の役割は、情報を届けることではなく、理解を設計することです。そのためには、提案や資料の順序、説明の流れ、そして対話のタイミングすべてを、顧客の思考の進み方に合わせて組み立てていく必要があります。そうして初めて、情報が「伝わる」から「わかる」に変わり、顧客の意思決定が前に進みます。
また、営業が提供する情報の「質」も問われます。正確で、一貫性があり、顧客の関心に関連し、理解しやすいこと――この4つが揃ってこそ、顧客の判断は迷いなく動き始めます。営業の説得力は、話し方や表現の巧みさよりも、理解のしやすさによって支えられる時代になったと言えるでしょう。
最終的に、顧客が「この人と話すと、自分の考えが整理される」と感じる瞬間こそが、営業活動の成果です。情報過多の時代において価値を持つのは、相手の時間を奪う説明ではなく、時間を生み出す理解のデザインです。そこに、これからの営業が目指すべき方向があります。
