2025-10-28

効率化の罠と営業の意思決定 ― 探索を取り戻すための視点

BtoB 営業・マーケティング コラム

成果に直結しやすい“話が早い相手”を優先する営業スタイルは、一見すると合理的に見えます。しかし、その習慣が長く続くと、市場の変化や顧客の意思決定構造に取り残されるリスクを伴います。本稿では、営業現場で陥りがちな「効率偏重の落とし穴」を見つめ直し、企業としての信頼資産を積み上げる視点から考えます。

“話が早い相手”を追う営業の構造的な偏り

営業の現場では、「話が早い相手」という言葉がよく使われます。提案をすぐ理解し、社内調整も速く、商談がまとまりやすい。短期的な成果を求められる環境では、こうした相手を優先するのは当然の反応です。しかし、その“自然な効率化”が積み重なるほど、営業活動は一方向に傾いていきます。

成果を上げやすい顧客ほど、自社の提供価値や業界文脈をすでに理解しています。つまり「話が早い相手」を追うほど、活動範囲は既存顧客や類似業界など、理解の早い層に集中していくのです。これが、営業活動の中で無意識に進行する構造的な偏りです。

探索と深化 ― 成果が偏る必然

この偏りを説明する代表的な理論が、James G. March(1991)が提唱した**「Exploration(探索)とExploitation(深化)」理論**です。組織は成果を上げやすい「深化」に自然とリソースを傾け、成果が出にくい「探索」を後回しにする傾向を持つとされています。営業組織でいえば、既存顧客との関係強化や再提案(深化)に比べ、新規市場・新規顧客との接点づくり(探索)は成果の予測が立ちにくく、どうしても優先度が下がる構造にあります。

この現象は個々の営業担当者の姿勢ではなく、組織の成果評価や報酬制度が短期成果を中心に設計されていることに起因します。営業活動は短期間で成果を可視化できる領域に集約しやすく、「話が早い相手」にリソースが集中するのはむしろ合理的な結果なのです。

デジタル化が偏りを“固定化”する理由

では近年、この偏りがさらに強まっているのはなぜか。その一因が、営業活動のデジタル化による構造の固定化です。営業支援システム(SFAやCRM)は、過去の成約データをもとに「確度の高い案件」をスコアリングします。この仕組みでは、モデルが“過去に成功したパターン”を学習するため、自然と「話が早かった相手」の特徴が優先されます。結果として、AIや分析ツールが深化側(Exploitation)を強化し、探索側(Exploration)を排除する方向に作用する構造が生まれます。

さらに、営業ダッシュボードやレポート機能は短期の数字を可視化します。その可視化が評価制度と結びつくと、「今期に成果を出しやすい相手」ほど組織的に優先される仕組みができあがります。こうして、ツール導入の目的だった“効率化”が、結果的に探索活動の抑制メカニズムとして機能してしまうのです。

Benner and Tushman(2003)は、プロセス管理や効率化の進展が探索活動を阻害しやすいと指摘しています。つまり、デジタル化自体が悪いのではなく、効率を成果基準に結びつけた制度設計が、探索と深化のバランスを歪ませる要因になっているのです。

偏りは“仕組み”がつくる

こうした構造的偏りは、個人の能力や意思の問題ではありません。むしろ、企業制度が“成果の出やすい領域”に報酬や注目を集めるよう設計されていることに由来します。“話が早い相手”との取引は確かに効率的で成果も見えやすい。しかし、それを重ねるほど営業組織は「出やすい成果」の領域に閉じ込められていく。その裏側で、“まだ話が噛み合っていない相手”との接点が減少し、市場変化への感度も徐々に鈍っていく。――それが、営業の生産性向上の陰で進行する構造的リスクなのです。

【出典】
James G. March, Exploration and Exploitation in Organizational Learning, Organization Science, 1991.
Benner, M.J. & Tushman, M.L., Exploitation, Exploration, and Process Management: The Productivity Dilemma Revisited, Academy of Management Review, 2003.

オンライン施策では難しい役職層にアプローチ!|ターゲットリスト総合ページ

市場感度の鈍化

「話が早い相手」に営業活動が集中していくと、次第に組織の中で“市場の輪郭”が歪みはじめます。目の前の商談は順調に進み、成果は見える。しかしその裏で、変化しつつある顧客層や新しい購買行動の兆しが、感知されにくくなっていくのです。

営業組織の情報源は、日々の商談と顧客の反応です。その接点が既存顧客や業界内の似た企業に偏っていると、自然と得られる情報も同質化します。“この層ではこうした提案が通る”という経験則が積み重なり、営業戦略はますます確度の高い相手に最適化されていく。こうして、営業活動が“うまく回る範囲”だけを世界の中心と誤認する状態が生まれます。

この現象は、経営学では「サクセストラップ(成功の罠)」として知られています。成功体験が多いほど、組織はそれを再現する行動を強化し、外部変化への適応が遅れる傾向を示す。Benner & Tushman(2003)も、効率化と標準化が進むほど探索活動が減少し、環境変化に対する柔軟性が低下することを指摘しています。営業現場に置き換えれば、「成果の出る顧客層」での再現性を追うことが、未知の領域への感度を鈍らせていく構造そのものといえます。

市場感度とは、単に情報収集の多寡ではなく、どれだけ異質な接点を保ち続けているかによって決まります。たとえば、以前は取引のなかった業界や購買体制の異なる企業と接することで、営業担当者は「意思決定の速度」「情報の入手経路」「検討プロセスの変化」を肌で感じ取る。ところが「話が早い相手」ばかりを追う営業環境では、そうした異質な接点の更新頻度が極端に下がります。

接点が固定化されると、顧客の中で何が変わりつつあるのかを察知する機会も減る。結果として、「市場の変化を感じ取れない」というより、変化を感じる場そのものが減っているのです。

市場感度の低下は、やがて成果のタイミングに表れます。新しい潮流や技術に敏感な企業が先に動き、従来の取引先群はその変化を後追いする。その時点で営業組織が接しているのは、すでに変化を終えた“旧い構造”の顧客層です。これが、成果が上がっているのに市場全体での存在感が薄れていく現象の正体です。

デジタルマーケティングや購買プロセスの変化が進む中で、営業が市場の中心線からずれていく速度はかつてより速くなっています。「今まで通りに通じる相手」がいることが、実は市場の変化に取り残されているサインである――。そう気づけるかどうかが、営業組織の感度を決定づけます。

市場感度を取り戻すためには、営業組織の中に異質な情報が混ざり合う構造を再設計することが不可欠です。それは単に新規開拓を増やすことではなく、日常の商談や会議、ナレッジ共有の中に、既存顧客と異なる層の声や反応を定常的に取り入れる仕組みを作ることです。

たとえば、成約確度が低くても「これまで接点のない業界」への打診を一定数維持する、異業種セミナーや展示会での対話内容をチーム内で共有する、あるいは営業活動の指標を「接点の多様性」も含めて評価するなど。探索と深化のバランスを保つ取り組みは、結局のところ情報の多様性をどう保つかに集約されます。

市場感度の鈍化は、業績の低下よりも先に訪れます。短期の数字が好調な間は問題として認識されにくく、気づいたときには「どの層も反応しなくなった」状態になっている。それは一夜にして起こるものではなく、日々の営業判断が“話が早い相手”に傾き続けた結果として積み上がるものです。

【出典】
Mary J. Benner & Michael L. Tushman, Exploitation, Exploration, and Process Management: The Productivity Dilemma Revisited, Academy of Management Review, 2003.

“意思決定の歪み”として現れる営業構造

市場感度の鈍化は、やがて営業組織全体の意思決定のあり方に影を落とします。目の前の取引で成功した要因が「再現可能な型」として共有されると、それが評価指標や活動方針の中心になり、他の可能性を排除する仕組みが静かに出来上がっていくのです。

営業という行為は本来、顧客の多様な反応を踏まえて戦略を更新する動的な営みです。しかし、「話が早い相手」に成果が集中している組織では、判断の基準そのものが“話の早さ”や“確度の高さ”に偏りがちになります。つまり、どの顧客に時間をかけるかという意思決定が、売上の蓋然性ではなく、短期的な成約可能性だけで決まってしまうのです。

こうした状況は、組織内部で「効率の論理」として正当化されやすい特徴を持ちます。営業会議では「案件の確度」や「商談ステージ」が可視化され、デジタルツール上でもスコアリングやパイプラインの進捗が評価される。これらの仕組み自体は有効であるものの、指標の設計が短期の成果を中心に構築されている場合、探索的な行動は“非効率”として抑制されやすくなります。こうして、営業組織の意思決定は徐々に「今、成果が出る顧客」に最適化され、将来の成長機会を狭めていく構造的歪みを帯びるのです。

データが強化する「見たい現実」

営業支援システムやCRMによって、営業活動の判断材料はかつてないほどデータ化されています。可視化は透明性をもたらしますが、同時に「どのデータを見て意思決定するか」という選択そのものに偏りが生じます。データは過去の実績を反映するものであり、既存顧客や主要取引先の行動パターンほど豊富に蓄積されるため、自然とそれらの指標が意思決定の中心に据えられるのです。

つまり、データ活用が進むほど「過去の成功に基づく判断」が強化され、未知の市場や新しい購買行動に対する感度が下がる。いわば“数字の裏づけ”によって、保守的な判断が正当化されていく構造です。これをBenner & Tushman(2003)は「プロセスマネジメントの逆説」と呼び、組織が効率化を進めるほど探索能力を失っていくメカニズムとして指摘しています。

営業現場では、この逆説が極めて実践的な形で表れます。管理指標が“成果を出しやすい相手”を選別し続ける限り、意思決定の基盤となるデータそのものが偏り、営業活動の判断範囲はどんどん狭まっていく。データが豊富になるほど、現場は「見たい現実」を数字で再確認するようになり、結果的に変化への対応力を失うのです。

判断の基準が硬直化する

営業組織の意思決定が硬直化するもう一つの要因は、「再現性のあるプロセス」を評価する文化そのものにあります。多くの企業では、成功事例を共有し、標準化して横展開することが“組織的成熟”とみなされます。しかし、営業の成果は相手企業の文化や意思決定構造によって変動するものであり、プロセスの標準化がそのまま再現性につながるとは限りません。

それでも、定量的な再現性を重視するほど“例外”は扱いづらくなり、異質な顧客へのアプローチは「非標準」「非効率」として扱われやすくなります。この結果、営業担当者自身が新しい試みを避け、意思決定の根拠が「前例」や「確度スコア」に偏るようになるのです。これは単なる個人の姿勢の問題ではなく、組織文化として形成される“判断のフレーム”の問題です。

「判断の偏り」は見えにくい

こうした意思決定の歪みが厄介なのは、数値上の成果が出ている間はほとんど認識されない点にあります。売上は維持され、受注率も高い。むしろ組織全体が効率的に回っているように見える。けれどもその裏では、営業活動の選択肢が年々減り、新しい市場への挑戦が後回しにされていく。外部環境が変わったとき、その「選択肢の乏しさ」が一気にリスクとして顕在化します。

市場が転換点を迎えたとき、過去の成功パターンでは動けなくなる組織ほど、変化に対応できずに停滞します。これは経営全体の問題でもありますが、実際の現場で最初に表れるのは営業の意思決定です。どの顧客に注力するか、どんな情報を重視するか。その判断の軸が過去の構造に縛られているかどうかが、組織の変化耐性を決定づけます。

意思決定を“ほぐす”には

営業組織の意思決定構造を柔軟に保つには、まず「数字の解釈」を見直す必要があります。成約率や進捗率などの指標を単なる成果尺度として使うのではなく、接点の多様性や提案の新規性といった探索的な行動の指標とセットで評価することです。短期的な効率と中長期の機会創出を同じテーブルに並べることで、判断の偏りを“ほぐす”ことができます。

また、意思決定プロセスに異なる視点を組み込むことも有効です。営業部門だけでなく、マーケティングや顧客支援など、顧客接点を持つ複数の部署が定期的に情報を共有し、どの層が変化しているかを多面的に捉えることが大切です。こうした情報の重なりによって、「いま話が早い相手」ではなく、「次に話を聞くべき相手」が少しずつ見えてくるようになります。

まとめ

営業活動における「話が早い相手」への集中は、成果を効率的に上げる合理的な行動のように見えます。しかし、その背後では、営業組織が持つ探索の機能が徐々に弱まり、市場変化への対応力を失っていくという構造的な問題が進行しています。短期的な成果を支えるプロセスが、長期的な機会の芽を摘んでしまう。この“営業の構造的な偏り”こそが、企業の成長を静かに制約している要因なのです。

本稿で見てきたように、営業活動の判断基準が「確度」や「効率」といった短期的指標に集中すると、探索的な行動が抑制されます。CRMや営業支援システムなどのデジタルツールは、活動の透明性を高める一方で、過去の成功を基準にした意思決定を強化する傾向を持ちます。これにより、営業現場は既知の顧客層や取引慣行の中で完結しやすくなり、未知の市場や新しい需要の兆しに気づきにくくなってしまうのです。

この偏りを解消するには、営業を単なる効率化の対象としてではなく、学習と探索のプロセスとして再設計する視点が求められます。重要なのは、探索を「成果が出にくい活動」として扱わず、組織が持続的に取り組む仕組みとして定着させることです。短期的な売上貢献とは異なる軸で、接点の多様化や提案の新規性といった“探索の指標”を評価し、学習の蓄積を組織の資産として扱うことが必要になります。

また、営業組織の意思決定には、異なる視点を持つ他部門を積極的に巻き込むことが効果的です。マーケティングや顧客支援、商品企画など、顧客接点を持つ部署が協働することで、市場の変化を多面的にとらえることができます。こうした情報の共有は、営業が「話が早い相手」だけに依存しないための基盤となり、組織全体の探索能力を高めることにつながります。

営業とは、単に売るための行為ではなく、市場を読み解く行為でもあります。だからこそ、効率を追うだけでは見えない領域にこそ、将来の成果の源泉が潜んでいます。成果を求めるあまり、探索の余白を失わないようにすること。短期の合理性と長期の感度、その両立を意識的に保つこと。それが、変化の時代において営業が果たすべき本来の役割だと言えるでしょう。

他の企業リストにはない部門責任者名を掲載|ターゲットリスト総合ページ